2009年5月号 ROCKIN' ON JAPAN
「エレファントカシマシ、結成から28年間のすべてを語る3万字インタ ヴュー!」を読んだ。
2009年4月29日、エレファントカシマシ19枚目のアルバム「昇れる太陽」
がドロップアウトされた。この昇れる太陽の発売がエレファントカシマシに
とって輝ける到達点と語ったJAPANの山崎氏。氏のインタビュー3万字の中
でエレファントカシマシの結成以来28年間の歴史と現在地が語られたこの
インタビューは私にとっては待望の、彼らの全貌の一端でも知る事のできる
記事だった。
読んでみた感想をブログの記事に残しておきたいと思う。
結成当初中3だったエレカシ。当時15歳。コンテストに出る様になるのが
高校1年生。当時はキーボードも石くん以外にギタリストもいた6人編成だった彼らがコンテストに出場していくようになる。メンバー3人が辞めてポプコンに入賞する前に成ちゃんがバンドに参加し、現在の4人体制となったバンドはポプコン関東甲信越大会まで行く。SDオーディション(CBSソニー主催)では尾崎豊やスライダース、ユニコーン、槙原敬之(凄いメンツ)もいたというから凄い。
デビューは日本青年館で。ゲストに聖飢魔Ⅱ。。。もう何とも言いようがないくらい凄い(笑)
エピック時代、本当は宮本も普通にやりたかったらしい(笑)
だから武道館3000人の記憶も「腹減った」くらいしか覚えていないと豪語
している。
驚くことは、エピックを切られた時、宮本が前から切られる事を自覚していたという事だ。そしてエピック最後となった「東京の空」。
これに宮本が自信を持っていたという事。だから実際エピックを切られた時も宮本だけが元気だったという。実際に契約が切れた翌日に宮本は「この世は最高!」の歌詞を書いていると言うのだ。ダメな時ほどチャンスはある。
そう信じていた彼は自分のバンドと歌、曲に対して物凄い確信を持っていたことがありありと伝わる。
そしてポニキャニ時代、8枚目のアルバム「ココロに花を」が売れる。
今宵がドラマの主題歌に決まり、ドラマ出演では水をぶっかけられ、ファンクラブの会報でサンタクロースの恰好をしたり(へ?マジで?w)DUDAのCMに出たりと、すべて音源のセールス拡大のために必死でやっていた宮本。
そこから宮本が打ち込みに嵌ったグドモの時期はベースマンとドラマーの顔も見たくなかった時期。1年くらい殆ど成ちゃんとトミに会わなかったらしい。そして町を見下ろす丘のレコーディング中に体調を崩したトミ。慢性硬膜下血腫。年中転ぶようになり頭痛もあったという。2006年3月手術。3、4月のライブはキャンセルし5月から復帰。この時入院中のトミが「死んでもライブをやる」と言ったのを宮本が、
「中途半端な練習でライブやるより、ちゃんと治してからリハーサルやって、ちゃんとしたライブをやった方が絶対いい」
と説得。(詳細はbridgeの2006年8月号に)
宮本はインタビューでも「トミがやろうとするんだ、頭にこんな縫い目があるのにさぁ」と言っている。
トミの闘病はエレカシがバンドを続けるにあたっての最大の危機だった。それを乗り越えてのバンドサウンドへの原点回帰。
宮本はインタビューでこう言っている。
「プリンスの名言で‘僕は愛されてる環境じゃないと自分の力を発揮できないタイプだから‘って言ってた。俺もそれに当てはまるっちゃなんだけど、要するに上手い下手じゃないんですよ。当たり前だけどバンドマンなんだな俺はって。愛されてる環境の中で色んな仲間と一緒に作って行く中の、「歌係」なの。愛されてる環境の中で自分は一番力を発揮するタイプなんじゃないのかなと思ったんだよね(趣意)」
「例えば笑顔の未来へで「なんかこの曲は凄みがいつものミヤジと違うぞ」みたいなニュアンスはトミとかだとすぐ出してくれるしさ。(中略)「あぁ!ミヤジだよ!あのミヤジだ!スバババババーン!」みたいな。それがある限りはバンドなんだよなぁ」
「だから俺とトミに例えばベースにヤナギさんが入ってもバンドにはならないんだよ(中略)仮にそれは成ちゃんが弾かなくても立ってりゃいいんだ。石くんだってそうじゃん。石くんのパフォーマンスで一番いいのはギターでもなんでもなくてがに股で俺たちの明日で立ってるだけでいい。むしろ弾くんじゃない!と」
「バンドはそういうもんですよ。ミヤジが何かやろうとしている。ミヤジがまたなんか面白そうなことを言ってきた。面白そうだな。それが俺には分かる。ミヤジがまた怒鳴りつける。ミヤジがまた楽しそうにしている。っていうのをすぐわかってくれるだよ。何の説明もいらないじゃん」
山崎「なんでこんなに長い時間をかけてこんだけ熱くこのバンドがやっぱりいいんだ!て今語ってるかわかる?それはEMI期の最初である意味ソロをやったんだよ。自分のやりたい事がやれた達成感と同時に足りない何かがはっきり見えたんだと思う。だから今そんだけ熱くやっぱりバンドなんだって言えるんだよね。今バンドに対する絶対的な信頼があった上での色々な試みをする時代に入ったんだと思う。ユニバーサル時代というのは」
宮本「例えば昇れる太陽は100%近く僕が自分でアレンジしてるんだけど僕はもう歌係と歌詞係と曲作り係。サウンド系はみんな。エレカシの4人だけじゃない。プロデューサーだけでもない、レコード会社だけでもない。みんなの総和でいい作品ができあがればいい。そういうスタンスが決まったなぁ、俺。俺たちの明日から」
様々な時期を超えて、宮本がエレファントカシマシの1ピースになったという自覚。何度見てもワンマンバンドに見えがちなエレカシだけど(笑)、確かに宮本は天才だと思うけれど、天才は時に1人では天才たりえないものだと思う。天才も人によって天才にもなればただの変人にもなりえる。幾度もの山坂を超えてきたからこそ得たメンバー間の信頼関係。周りの人なくして今の自分はないという宮本の画期的ともいえる謙虚な自覚(笑)。それが彼のエピック期という今と対極の時期を意味のあるものにし、なおかつ今自由に伸び伸びと1ロック歌手を謳歌せしめている源なのかもしれない。でも、この「総合力」なくして現時点の唯一無二の孤高のロックバンドエレファントカシマシも存在しえないのだと思う。これが50にして天命を知るってことなんだろうと思う。
でも宮本の宝は、やはり、この石くん、成ちゃん、トミ、この優しき男たち以外にないのだと思うよ、ミヤジ(笑)
そして、何年たっても宮本のロック魂は変わっちゃいないと思っている。
*乱筆乱文申し訳ありません。間違いがありましたらお許し下さい・