本当はtwitterに一度書いたのだけど、その後、何となく居心地が悪くて削除した。
そんなのでブログに書くことにしました。
これはあくまで私の一考察に過ぎないので悪しからず。
2018年3月18日にエレカシ主催のspitz&ミスチルとの3マンライブが行われる事を知った時の私の気持ちは、
宮本は彼らみたいになりたいんだなぁー
って事。前にも書いたけれどspitzもミスチルも日本のポップモンスターバンド。両バンドともアリーナやドームツアーをやるほどのバンド。
エゴのない=人類愛的ってのがバンドを語る上で私の中にあるイメージ。
エゴのない歌は沢山の人に曲を届ける条件でもあると思う。
私の知るところだとそれを体現したのがバンプのjupiter以降の変化でもあって、それを見て来て思ったから。
クセの強い音楽は人を選ぶから沢山の人に届くのには無理がある。
これはあくまで仮定だけど、エレカシの音楽がその様に変化していくことがエゴの
ない歌って事なら、そう宮本が思った事がとても残念だと思う。
ラジオの「よなよな」でミスチルがコバタケのプロデュースを離れた事でミスチルの
音楽がもっと開放的になって良かったとJAPAN総編集長の山さんが言っていた。
エレカシには宮本自身の表現したいものに拘って欲しい。
これは個人的見解だけど、バンプはユグドラシルを持って大きくメジャー志向に舵を切った。そして今の、スタジアムツアーを展開できるような国民的バンドになった。
でもその分失ったものはロックスピリットだったり曲の個性だったりしているのは否めない事実。彼らの歌は今もたくさんの人に希望や勇気を与え続けているけれど、メジャーになった分、あの頃嫌でも手を掴みに来ていたバンドが客を待つ事しか出来なくなってしまった。そして音楽でしか大事な事を伝えられらなかった彼らが言葉で伝えなくてはいけない事も増えてしまった。人としてそれは本当は当たり前なのは解っている。でもロックというのは元々生きづらい人の、敗者のための音楽だと思っている私からしたらバンプは最早ある意味ポップバンドなのです。
唯一無二のロックバンドなのかもしれない。でもあなたの私の手をあちらから強引に引き寄せる事はもうできない。そしてここまで来てあと何を歌っていくのだろうというのが素朴な疑問として残るのね。
唯一無二って大事だから。そして個性って大事だから。エゴを捨てるって事を私は今回こんな風にとらえている。
エレカシの曲自体はエゴの塊だなんて思っていない。そうではなく、宮本本人の心象、思っている事を実にシビアに曲に落とし込んで来た。苦しみも悩みも孤独も。ラブソングさえそんな風に聴こえない人生の修行僧的な姿勢が色濃く曲に反映している、そんなバンドあり方が大好きだった。
ただ最近憂慮しているのはエレファントカシマシというバンド自体が最早、エレカシだけの物じゃなくなっているという点だ。
大物バンドは大抵そうだと思うけれど、そのバンドのプロジェクトが出来上がっている。バンドは最早バンドだけの物じゃなくなる。バンドの動向は全てバンドが決められない。バンドの動き一つでプロジェクトにかかわる沢山の人の仕事に影響を及ぼす。
そういった所から敢えてメジャーデビューを選ばないバンドもあるくらいだ。
エレカシも最早4人だけのバンドじゃない。会社の意向も大きく関わる。
もう一つ憂慮している事はマスターピースが出たのが2012年、RAINBOWが2015年。アルバムが出る頻度が減っている事。宮本の曲作りが人から何かのきっかけをもらわないと作りにくくなっている事。それは近年の宮本インタビューを読んでいてもよく分かる。特にここ最近は村☆潤さんの影響が大なわけだけど。
そろそろ内面にためなきゃいけない時期でもあるような気がする。
まぁそれは30th関連が終わってからでもいいけれど。
そろそろ擦り切れて来ている。歌が単一的になって来てるからね。
バンドマンのエゴって結局は自分の音楽表現においては何を差し置いても自分の感性を信じる事だと思うし、自分の表現を貫く事だと思う。
それを売り渡したとしたら、私は失望しかしないだろう。
色んなバンドを見ていると、それがこれからも長く続いていく条件の一つのように思えてならないんだけどな。
30th関連、紅白出場と沢山の人が大喜びしている現状を醒めた目で見ている私がいます。エレカシが嫌いなんじゃなくて好きだと思うから、魂を売り渡していけない部分があるんじゃないか?と問題提起をしておきたいと思います。
宮本は10年後、20年後に何を見ているんだろうね。
栄光は何時か色褪せる。その時に残るものは何だろうね。
最後に ――
この事に関連して最近ものすごく感動したlostageの五味兄の言葉を載せておこうかな。
売れてても売れてなくても、有名でも無名でも、上手くても下手でも、ただやりたいからやってるだけの奴の音楽は強い、たくさんの人がしょうもないどうでもいいことを気にし過ぎている
もし自分の歌う歌を、自分達の演奏を、誰も評価してくれなくなっても、音楽を続ける、なぜか?自分が良いと思ってるからだ、自分がまず感動してるからだ、それで良い、全く問題ない