私は2003年に札幌ベッシーホールで行われた
「complex sound vol.2」でsyrupのライブを観たのが最初だ。
レミオロメン、LOST IN TIME、BAZRA、syrup16gの4バンドが出演した対バンライブ。そして今年13年を経て新木場サンセットに当選し参戦。そして今回の突然告知されたワンマンツアー HAIKAI。初のワンマン参戦だった。
札幌でのライブから3日が経ち、なんだか普通にライブレポを書く気にはどうしてもなれなかった。私は前に読んだ2008年の音人の解散前のラストアルバム「syrup16g」が出る前の五十嵐の金光インタビューと2014年のHurtが出る前の五十嵐&大樹ちゃんへのインタビューを読んでからレポを書こうと思った。
何故ならこのインタビューは私がsyrupの解散も犬が吠えるが一時期結成された事も再結成になった理由も知らなかったし知ろうともして来なかったからだ。
それは生活状況がそれを許さなかったのが理由だ。
今年になって解散までの経緯、五十嵐の事等を知る事になった事。
そしてLast Dayの映像を見た事。
これがsyrupの音楽に再覚醒させてくれたのだ。
私も学生時代に友人関係に悩みプチ引きこもりになり健康も害した事がある。
実家のある町の駅まで行きそのまま札幌のアパートへ引き返したこともある。
苦労して私を大学に行かせてくれた両親に合わせる顔がなかった。
そして私が邦ロックを聴き始めた時、私は身内を病気で亡くした。
1年半の闘病生活。幼い子供たちを抱えながらの看病。
周りの家族がそんな私を懸命にサポートしてくれたが心に染みついた「喪失感」
はどうしようもなかった。その時多分私はちょっとおかしかったと思う。
その喪失感を肯定し、前に進む事を促してくれたのが
BUMPだった。その流れからsyrupの音楽に出会う。正直怖かった。
しっかり聴きすぎると死にたくなるような感覚に襲われた。
鬱々とする気持ちが益々鬱々とした。
しっかりとした気持ちの時じゃないと聴けなかった。
でも。
私はどこかでsyrupの音楽が大好きだった。暗闇の中の一条の光が余りにも
美しかった。99%絶望しかなくてもsyrupはどこかで光を求めているバンドだと
信じた。だからRebornもMy Songも水色の風もShe was beautifulも好きな曲に
なった。
音源は最後のアルバム以外は全部聴いていた。
でも日常生活の中で音楽に没頭する事ができずライブ参戦はそれからずっと途絶えていた。そして最近やっと余裕ができsyrupに向き合う事ができるようになった。
解散インタビューを読んだとき、私は五十嵐の発言の全てがとても他人事の様には
思えなかった。
両親の離婚、父親の死、バンドの中でも孤独感、思うように取れないコミュニケーション。全てに自分の来し方と重ね合わせた。これからどう生きていいのかもわからない。ただ音楽だけがライブをやっている時だけが自分が生きていて嬉しいと思うなんて生き方しかできない五十嵐を私はどこかで自分と重ね合わせた。
その後武道館でのLast Dayの後の五十嵐は皆が知っての通りで。
生きてるのかも死んでるのかもわからない日々が続いていたんだよね。
そして生還でsyrup再結成となる。
もう音楽は辞めて普通に生きようとしたけれど普通には生きれなかった。
syrup解散前、大樹ちゃんとの人間関係にひびが入った事でもう一歩も前に進めなくなっていた五十嵐。
でも、時は人に優しかったね。大樹ちゃんが「首と言われるまでsyrupは辞めない」
そう言ってくれて、それでも引きこもりの様にしか生きて来れなかった五十嵐が
苦しくても辛くても音楽でしか自分が生きて行けない事に完全ではないけれど腹をくくって人前に出て来た。
HAIKAIツアー前のDarcインタビューでも相変わらずの五十嵐だったけれど。
突然のDarcの発売発表。加えてHAIKAIツアーの決定。
私にとっては初めてのワンマンだった。
新木場サンセットで久しぶりの3人の姿を生で確認し、そして3人でしか鳴らし得ない
音を生で久しぶりに聴けた喜び。
この時には喪失感を味わった私はその頃から13年が経っていた。
そして迎えたHAIKAI 札幌penny lane24。
その中身は他の方々が書いている通りだ。
私にとっては、五十嵐が歯を食いしばり汗をたらたら垂らしながら、ギターを弾きまくり叫びまくる姿を観れる事、そして大樹ちゃん、キタダさんとの3人の凄まじいプレイにただただ言葉を失い、ウオ――っと叫び、オイオイコールをしcoup d'étatで合唱し、トリプルアンコールを求めて最後まで拍手し続け、最後に何と会場から出てきた
五十嵐の満面の笑顔とバイバイと手を振ってくれたその姿で、あーもう何もいらないくらい幸せだと思った。そして少なくともライブの時は五十嵐は幸せなのだと思った。
五十嵐に自分を投影していたところのある私にとって五十嵐が幸せそうに笑っている事は自分が幸せにしているのと同じ事なのだ。
そして色んな人たちとプレイしているキタダさんのベースと大樹ちゃんのドラムスキルはsyrupの音楽に圧倒的な力を与えた。
バンドの背景を抜きにして考えてもこんな音楽をやれるバンドは他にはいない。
感情移入たらたらの文章になってしまった。
五十嵐、大樹ちゃん、マキリン、、、もともとの人となりはそんなに簡単に変わるものじゃないけれど、五十嵐、ツアーが終わったらゆっくりしてもいいけれどあんまり長い間引きこもらないでくれよ。
今回のバンド史上最長のツアーが終わったら、きっと抜け殻になると思うけど。
抜け殻も時間が過ぎたらまたみんなの前に顔を見せてくれ。
大樹ちゃんが新千歳空港で北海道を去る前にツイッターで名残惜しいと言ってくれた。それは五十嵐も同じだと信じている。12年ぶりにsyrupを迎えた北海道のファンはどれだけ待ち続けた事か。一昔以上待った人もたくさんいたよ。
やはりsyrupの音楽は冬の音楽。吹雪の中の夜の街灯の様に、凍てついた夜空に輝く三日月の様に、少しの希望と優しさをこれからも私たちに届けてくれ。
待つのには慣れてるから。
でも1年に1回はライブやって欲しいよ、がっちゃん。
何度死にたいと思ってもいいから、その度にライブに来たお客さんの
顔を思い出してくれ。
ありがとう、五十嵐、大樹ちゃん、マキリン。
あなたたちのライブに参戦できて本当に嬉しかった。
ありがとう、津軽海峡を越えてくれて本当にありがとう。
次は12年後だなんて言わないでくれ。
また来年、待っているよ。
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