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Channel: ムーンロックの日記
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JAPAN 2016年10月号 エレカシインタビューを読んだ

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私はエレカシインタビューについては山崎氏を一番信頼している。
何故ならCHERRY BOYSの一人が彼だからだ。
宮本の才能を信頼し続け後押ししてきた人であり、宮本と年も近い彼は良きアニキ、宮本の相談相手として公私に渡り信頼関係を築いている。

人は信頼している人には心を開くし本音も言う。
だから数あるインタビュアーの中でも山崎氏を信頼するのだ。

まず写真。
見事に今の宮本浩次を映し出す。
50歳の、プラマイゼロの宮本浩次じゃねぇか。
これでいい。正解だ。

夢を追う旅人/i am hungryに関するあちこちのインタビューで何度も老年の青春と言い、この2曲のお蔭で元気になったという宮本。
その源はなんなのか?
宮本は母親から「あなたは大器晩成型ね」と言われたことがあると何かで読んだ事がある。悩み続け行きつ戻りつしながら歩み続けた約30年。
バンドとしても人間としても50歳らしい様々な経験を積み重ねてきた彼らにとって、何度も言っているが宮本の病気は大きなターニングポイントだった。

人は自分の努力だけではその壁を破る事が出来ない時がある。病気もその一つだ。
RAINBOWはそのどうにも抗えないものへの忍耐と迷いと苦悩との戦いを歌ったリアルな肉声である。事実自信を失いかけたり、不安を抱いたりもしたと言っている。
しかしその忍耐の期間を何とかくぐり抜けた時に待っていたのが明治からの曲の依頼であり、タイアップ曲の依頼だった。
人間は「必要とされている」と思った時には凄い力を出すものだ。病気をくぐり抜けてきた宮本にとっては明日への希望を見出し自信を取り戻すには十分な出来事だっただろう。
そして周りの後押し。
だがしかし、これは30年近くの間彼らが真面目に、筋を一本通して戦ってきた事への評価なのだと思う。他にない、唯一無二の音を鳴らし歌を唄うバンドであり続けたからだと思う。不遇な時代も、バンドサウンドから離れた時さえも宮本は自らの内側でなる音楽を追及する事を辞めなかった。そこに反省はあっても、妥協はなかった筈だ。
そのスタイルを崩さずに30年積み上げた結果が今なのだと思う。

50近くになって病を乗り越えて作ったRAINBOWは紛れもなく様々なところで人々に届いた。その結果が今なのだ。実に実に大器晩成型の典型じゃないか!

今の宮本の晴れやかさは何だ??
苦節30年なんてクサイ言葉だが、全てに意味があった。
いや、全てに意味をもたらしめたのは彼らだ。
そして、インタビュー中にもあるとおり、彼らはいつか終わりが来ることを自覚した。(これも前に書いたことがある)

全ての存在はいつか必ず終わる。だからこそ今この一日一日が輝く。
これは若いバンドにはきっと出せない輝きなんだよ。
ファイティングマンが今なお新たに人の胸ぐらを掴む。
夢を追う旅人が30年を総括し新たな旅立ちを高らかに謳う。
i am hungryがファイティングマン以上の熱を帯びて人々に銃爪を引く。
なんてこったい、だよ、全く。
人に期待されて褒められて伸びるタイプだね、宮本よ(笑)
さて、これからの10年が楽しみだ。
本当の自信と自由と、確かな終わりを自覚したバンドの音楽と生き様はきっと美しいに違いない。

見届けさせてくれ。
共に歩むから。


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